daiary

  • 2010年10月3日
  • 2010年10月6日
  • 2010年10月25日
  • 2010年10月26日
  • 2010年10月27日
  • 2010年10月28日
  • 2010年10月29日
  • 2010年10月30日
  • 2010年10月31日
  • 2010年11月01日
  • 2010年11月02日
  • 2010年11月03日
  • 2010年11月04日
  • 2010年11月05日
  • 2010年11月06日
  • 2010年11月07日
  • 2010年11月08日
  • 2010年11月09日
  • 2010年11月10日
  • 2010年11月11日
  • 2010年11月12日
  • 2010年11月13日
  • 2010年11月14日
  • 2010年11月15日
  • 2010年11月16日
  • 2010年11月17日
  • 2010年11月18日
  • 2010年11月19日
  • 2010年11月20日
  • 2010年11月21日
  • 2010年11月22日
  • 2010年11月23日
  • 2010年11月24日
  • 2010年11月25日
  • 2010年11月26日
  • 2010年11月27日
  • 2010年11月28日
  • 2010年11月29日
  • 2010年11月30日
  • 2010年12月 1日
  • 2010年12月 2日
  • 2010年12月 3日
  • 2010年12月 4日
  • 2010年12月 5日
  • 2010年12月 6日
  • 2010年12月 7日
  • 2010年12月 8日
  • 2010年12月 9日
  • 2010年12月10日
  • 2010年12月11日
  • 2010年12月12日
  • 2010年12月13日
  • 2010年12月14日
  • 2010年12月15日
  • 2010年12月16日
  • 2010年12月17日
  • 2010年12月18日
  • 2010年12月19日
  • 2010年12月20日
  • 2010年12月21日
  • 2010年12月22日
  • 2010年12月23日
  • 2010年12月24日
  • 2010年12月25日
  • 2010年12月26日
  • 2010年12月27日
  • 2010年12月28日
  • 2010年12月29日
  • 2010年12月30日
  • 2010年12月31日
  • 2011年 1月 1日
  • 2010年 1月 2日
  • 2010年 1月 3日
  • 2010年 1月 4日
  • 2011年 1月 5日
  • 2011年 1月 6日
  • 2011年 1月 7日
  • 2011年 1月 8日
  • 2011年 1月 9日
  • 2011年 1月10日
  • 2011年 1月11日
  • 2011年 1月12日
  • 2011年 1月13日
  • 2011年 1月14日
  • 2011年 1月15日
  • 2011年 1月16日
  • 2011年 1月17日
  • 2011年 1月18日
  • 2011年 1月19日






  • 2010年10月3日
    ピースボート地球一周 プロローグ
    今年10月25日からピースボートで地球一周の旅に出かけます。
    世界一周のクルーズは飛鳥とか日本丸などもありますがかなり高額です。 また、ドレスコードなどもあり一人で行く私には敷居が高いものです。 その点ピースボートは世界一周99万円とうたっていてお手軽と思いました。
    回るコースはトップの地図のようで西回りです。
    申し込みを済ませてからいろいろ資料が送られてきました。港々にはほぼ1日しか 停まりません。そこでの行動はオプショナルツアーと自由行動ですが、半分は自由行動にしました。
    船でのインターネット環境は100分で4,200円とかなり高額なので、更新は毎日は出来ないと思います。でも毎日日記を書いて行きたいと思います。
    時々はご覧になってください。

       航程です。
    10月25日 横浜出港
    10月30日 香港
    11月1日  ベトナム・ダナン
    11月4日  シンガポール
    11月9日  セイロン・コロンボ
    11月19日 エジプト・ポートサイド
    11月21日 キプロス・リマソール
    11月23日 ギリシャ・ピレウス
    11月25日 イタリア・カタニア
    11月26日 チュニジア・チュニス
    11月29日 モナコ
    11月30日 フランス・マルセイユ
    12月 1日 スペイン・バルセロナ
    12月 5日 カナリア諸島・ラスパルマス
    12月13日 ドミニカ・サントドミンゴ
    12月15日 コロンビア・カルタヘナ
    12月16日 パナマ・クリストバル
    12月19日 エクアドル・マンタ
    12月19日 チリ・イースター島
    1月 3日 タヒチ・パペーテ
    1月18日 横浜帰港
    2010年10月6日
    費用の明細です
    旅行代金 1,350,000円 早期割引‐270,000円
    小計 @1,080,000円
    ビザ取得代金 10,750円
    ボートチャージ合計 37,800円
    チップ合計 43,000円
    オプショナルツアー 85,000円
    下段指定A 100,000円
    保険代金 34,000円
    小計 A310,550円
    費用合計 1,390,550円

    このほかに小遣いがあります。
    一応20万円ほどドルとユーロを用意しました。
    円高の昨今もう少しドルを買っても良いかなあと考え中です。
    そうそう準備の支度もありますね。これは+α
    また船内での飲食いもあります。
    これはカード清算なので一応10万円ほどと考えています。

    まあ170万円+α 約200万円ほどかかる計算になりますね

    ボートチャージ、チップは良く分かりませんが仕方がないです。
    オプショナルツアーは寄港地周辺の最小限にしました。
    下段指定Aというのは4人1部屋の下段で上段がないベッド指定です。
    ざっとこんなものですが、結構かかりますね。

    まだ荷繕いをしていません。出港まで20日を切りました。
    少し焦って来ました。
    2010年10月25日
    いよいよ出発
    いよいよ出港の日がきました。12時に横浜大桟橋に集合です。11時半過ぎに着くともう沢山の人がいます。何人か横浜のピースボートセンターでの顔見知りがいて何だか頼もしく感じました。
    出国手続きをして乗船です。部屋は3人同室でプレミアム料金を払ったので下段で上にベッドがありません。しかもダブルベッドサイズです。同室は旭川からのAさんと鈴鹿から来たBさんでいずれもシニアです。
    宅急便で送った荷物が部屋まで届いていました。大きなトランク二つと段ボール箱二つの計4個持ち込みです。パソコンや送った後で気付いたものは手持ちで、これも結構な量があります。同室二人もご同様でしばらくは荷物の整理です。 あっという間に3時の出港時間となりました。デッキからテープを投げ合い徐々に船が岸壁を離れて行きます。つながっていたテープもちぎれ、見送りの人が豆粒のように小さくなります。

    汽笛もボーっと鳴って旅情を募らせます。

    天候のせいもあり陸地は良く見えませんが、明日には四国沖まで達するようです。思ったほど揺れもなくこれなら快適と初日を終えました。







    2010年10月26日
    インターネットにつないで見ました
    朝6時半過ぎに起きました。目覚めはすっきりとしています。
    モーニングコーヒーを飲みに行き、その後続いて朝食です。朝食はビュッフェ形式で食べすぎないよう野菜中心にしました。
    今日は午前中に避難訓練です。救命道具を身につけて甲板に集合です。少し波も出てきてこれを使うような事があれば大変だなどと話しているうちに終わりました。 実際にボートに乗るのかと思ったら、救命道具の点検だけで簡単なものでした。
    午後は初めてインターネットにつないでみました。 遅くて料金が気になりメールのチェックとHP更新だけでしたが、所要6分間でした。 まあこのくらいなら2〜3日おきには更新できるかなと思っています。
    また船内生活のオリエンテーションと夕方からはウエルカムパーティーがあり、忙しいです。ちょっとしたご馳走が出て、食事の後は乗り込んだ歌手の歌を聞きダンスとなりました。えぼしは踊れませんが、上手な人も多いのですね。
    同部屋の一人は船酔いでダウンして、パーティーに出られませんでしたが、帰ると回復したようです。
    9時過ぎには一人寝て、もう一人は10時にお休みです。
    普段の生活のペースが違う三人の共同生活も大変ですが、私が早く寝ればそれで良いのかなあと思います。
    船内生活のオリエンテーションで言っていました。
    相部屋で上手くやるコツは話しあってルールを決めることだそうです。

    2010年10月27日
    三日目です
    三日目ともなると船内の様子も分かり初め、顔見知りも次第に多くなってきました。
    挨拶のあとは名刺交換です。名前と住所など分かり名刺も良いものです。
    そんな事も予期して名刺作製を船内でやってみようとプリンターなど一式を用意してきました。自分のだけでなく人にも作ってあげようと言うつもりです。
    最初のリクエストは同室のAさんでした。顔写真とピースボートの旅のロゴを入れて作ると口コミでリクエストが来初めました。
    オープンスペースでリクエストの名刺作りをしていると、無線LANがつながらないと言う人の相談もあります。OSもいろいろで接続も一苦労です。それにまして衛星経由で速度も遅いのです。
    ピースボートに乗り込んだ講師によるお話が今日からありました。弱者の側からの歴史問題というピースボートらしいものですが、それなりに面白いものでした。
    夜は知り合った人たちと一杯飲みに行きました。何処へ行っても飲み友達がまずできますね。
    今日は沖縄と中国大陸の間を船が行き、明日は台湾を過ぎ時刻を1時間遅くします。
    2010年10月28日
    そろそろ慣れたかな
    早いもので4日目を迎えました。毎日忙しくあっという間に時間が経ちます。
    台風とはもうすれ違ったようですが、本来の航路を変え台湾海峡を通っています。まだ大きな波で揺れもありますが、いろいろ慣れてきました。




    ピースボートでは他のクルーズと違った特色があります。
    その一つとして自主企画があります。文字通り船内で何かやりたいことのある人が名乗りを上げてみんなに知らせ実施するのです。 その説明会があり、名刺作りのお手伝いを申し込みました。実施は31日で、明日発行される船内新聞に載る予定です。

    2010年10月29日
    考えるプログラム
    今日は参加してみたプログラムについてです。死刑制度について考えると沖縄基地問題についてのパネルディスカションです。両方ともいかにもピースボートらしいテーマです。前者は日常考えない死刑制度というものを考えてみようと言う事です。最後に参加者の発言もあり、興味深いものでした。


    沖縄基地問題は沖縄の過去、現在、未来と題して行われました。興味があったのはポリネシアには沖縄より経済人口が少ないのにいくつも独立国があるという事実でした。
    そうは言っても大半の時間はデッキで過ごしています。台風の影響もなくなったと思うのですが、やや波があり揺れます。明日は香港です。
    2010年10月30日
    香港からマカオ
    まだ暗い早朝香港に着きました。
    ピースボートでは寄港地ごとにオプショナルとしていくつかのツアーが組まれます。
    お隣のマカオに行くツアーは15,000円ほどですが、ツアーでなくフリーで行く事も簡単そうなのでそうしてみることにしました。
    一緒に行きたいと言う人も増え結局5人になりました。地下鉄でフェリーの発着所まで行き、約1時間でマカオです。見所の聖ポール天主堂を見てお昼を食べるともう残り時間は少なくなり帰る時間です。ほんの数時間の滞在で逆コースをたどり帰りました。
    土曜日で観光客も多く、出入国を香港マカオでいちいちする忙しい訪問でしたが、お昼のポルトガル料理も美味しくゆっくりとまた訪れたい所です。
    夕方船が出港します。船から眺める香港の夜景は見事なものでした。





    2010年10月31日
    名刺作り
    自主企画で申し込んだ名刺作りのお手伝いをする日です。船内で知り合った人が準備を手伝ってくれました。時間になると20人近くの思いがけずたくさんの人が集まっています。
    名刺作りは時間があれば一緒にレイアウトなど考えてするのですが、その場ではとても無理な人数なので簡単なひな形に統一し希望者には写真を入れて後日渡すことにしました。
    パソコンを持ってきている人は結構いますが、名刺用紙とプリンターまで持ち込む人はいないようなので大変喜ばれました。
    夕食ではちょうど誕生日の人と同席になりました。ハッピーバースデーを歌い、ケーキをご馳走になりました。





    2010年11月 1日
    ベトナムダナン
    朝6時の接岸予定が少し遅れてダナンの港へ着きました。どうやら雨模様です。
    フリーでホイアンの日本人橋を見に行く予定でしたがやめにしてダナンの市場に行くことにしました。
    港には白タクが待っています。居合わせた3人で交渉しても一人6ドルまでが限度でした。

    ホイアンの市場に着いても雨です。市場は前にフエでじっくり見ているので、ザット見て喫茶店でベトナムコーヒーのお茶をしていました。
    付近にレストラン風な所がなく、昼食をどうしようかといつの間にか一緒になったピースボート客の3人と相談し、ホテルの中華レストランへと向かいました。
    麺類を4人別々で注文してシェアしたところ、これが大正解でどれも大変美味しかったのです。それで会計はひとり3ドルくらいでした。
    その後は降ったりやんだりの天気で市場の中をまた見て回り、帰りはメーター制のタクシーに乗り帰りました。
    料金は全部で12ドル、これもひとり3ドルの計算でした。
    2010年11月 2日
    またも名刺作り
    第2回目の名刺作製自主企画をしました。前回よりは人が少なくひとりひとりと相談しながらユニークなものを作れました。
    しかし準備と時間切れで持ち帰った名刺作りでほとんど丸一日を費やします。
    船内のいろいろな企画にも出席できません。当面は少し控えて口コミで頼まれるものだけにしようと思います。
    天候もあまりよくなく雨模様の一日でした。
    2010年11月 3日
    シンガポールへ










    シンガポールに近づくにつれ行きかう船が多くなりました。航路説明会で海の交通の要所シンガポールやマラッカ海峡の事が話されましたが、なるほど海を眺めていると納得です。
    天気予報ではシンガポールも雨とのことでしたが、次第に天気が良くなり初めてといっても良いくらいきれいな夕日を見る事が出来ました。
    2010年11月 4日
    シンガポール
    昼ごろシンガポールに着きました。
    同行を頼まれて4人で上陸です。
    地下鉄の駅が港に隣接していて市内までは便利に出られます。
    まずマーライオンを見物に行きました。世界3大がっかりとか言われている小さなマーライオンですが、海に向かい大きなマーライオンが作られてそちらの方が見栄えがします。
    続いてオーチャード通りまで行きましたが、とにかく暑く湿気もかなりのものです。
    船のインターネットがつながりにくいので一度引き返し、パソコンを持ってHP更新にこれから出かけるつもりでしたが時間がなくなり結局船から更新です。
    2010年11月 5日
    マラッカ海峡
    もう寝ていましたが、出港は午前3時前だったようです。
    目覚めるとマラッカ海峡を船は進んでいます。行き交う船も多く、小さな漁船らしいものも見受けます。左右にマレー半島やスマトラ島がなんとなく見えるような時もありますが、定かではありません。ゴミも帯を作って流れていて、海運の要所を通行している実感があります。
    今日はリフレッシュデーでいろいろな企画はお休みです。プールやジャグジーなどでみんなくつろいでいます。
    のんびりとしていると、夕焼けがきれいだと言う声を聞き11階のデッキに出てみました。 数日前は右舷で見えていたのに今日は左にきれいな夕日が見えました。
    2010年11月 6日
    トラブル
    今乗っている船の名はオセアニック号といいます。総トン数38,772トン、全長238.4メートル、船籍はパナマです。客船としては世界有数の大きさとの説明をうけました。
    しかし作られてから40年以上たっているので年代物の感があります。
    出港してから数日は23〜4度の室温でしたが、次第に上がってきてこの頃では26度ほどあります。暑いのです。どうやら冷却装置が故障しているようです。
    外も中も暑く、みなフーフー言っています。
    また水も生ぬるく、シャワーの冷水がちょろちょろしか出ません。
    ある部屋では水漏れがしたとか言う話も聞きました。

    午後にはセイロンの説明会があり、夕方にはマラッカ海峡を抜けいよいよインド洋を西に航路を変えました。
    2010年11月 7日
    漂流
    早朝にトラブルがありました。一時停電してそのあと船のエンジンが停まってしまったのです。
    まもなく回復して動き始めましたが、船がかきわけ後方にうねり流れていた波がポチャンポチャンと船腹を洗う漂流状態はすこぶる頼りの無いものです。
    トラブルがあったためなのか昼過ぎに船員の避難訓練がありました。なんとなく乗客に安心感を与えるためのようにも見えました。

    昼間はプールやジャグジーに入る人も増えてそれなりに雰囲気が出ています。
    夕食時にはまた誕生日のテーブルに招かれました。先日奥さんの誕生日に招かれたご夫婦の今度は旦那さんの方です。





    2010年11月 8日
    不思議な月
    朝日を見たいとほぼ毎日甲板に出ますが見えません。それでも今日は水平線に雲が少なくまあまあな日の出でした。
    いろいろな企画の中に絵手紙があり参加してみました。ヘタウマ絵のように描くのがコツのようです。スケッチ教室もあるようなので参加してみようと思っています。
    日没は雲でダメでしたが、おもしろい月が見えました。上弦の月の上側がうっすら円弧を描いているのが見えます。不思議な月です。一つですから1Q84の月ではなさそうです。
    夜はダンスパーティーや和太鼓の発表会など盛りだくさんを見物して回りました。
    2010年11月 9日
    コロンボ
    朝6時予定通りにコロンボに到着です。
    船の上から見ると遠くには高い建物も見えますが、ほとんどは古ぼけたちいさなものです。
    船での入国は一括審査を受け、船内でのIDカードだけでOKです。港を出るゲートまではシャトルバスがあり、それに乗ります。
    ゲートを出るとトクトクという三輪自動車のような乗り物が待ち構えていて客引きです。値段交渉をしてから乗ります。3人相乗りで町をグルっと回り2時間3米ドルで交渉成立しました。
    町中は小さな商店が雑然と並んでいるように見えます。ヒンズー寺院では礼拝の様子をまじかに見、コロンボで一番大きいいとか言うお寺も見ました。
    お昼になり、地元の人が大勢食べている食堂を見つけカレーに挑戦です。肉や魚、野菜など指さしてご飯にのせてもらいました。地元の人はもちろん指で食べていますが、こちらはスプーンです。指はチャレンジしましたが、こねて最後に口に入れるのが難しいのです。味は思ったより辛くなく美味しいと思いました。でも刺激で汗が噴き出ます。
    涼しさを求め入った港から見えた高層のトレードセンターのコーヒーショップはコーヒー1杯200円強でカレーよりは高い値段でした。 観光だけで回ったのですが、町中は銃を持った兵士も多く見かけ、紛れ込んだ大統領府地区では手荷物検査も受けました。物乞いや客引きも多く、スリランカのほんの一面を見たコロンボでした。
    2010年11月10日
    アラビア海
    前日の午後9時コロンボを出港し、インド洋でもアラビア海と呼ばれる海域を航行しています。海の色も群青色に濃くなってきたように思えます。イルカやトビウオを見たという話を良く聞くようになりましたがまだ見ていません。
    船の生活にもだいぶ慣れて一日のリズムが出来てきました。
    ほぼ毎日時差が発生して時計を30分か1時間もどしますが、寝るのは11時起きるのは5時で変わりません。
    食事は朝食7時昼食11時半、夕食5時半でこれも毎度食欲があり美味しく食べています。 日中は船内新聞で催しをチェックして、面白そうなプログラムに参加しています。あとは海を眺めたり船内で知り合った人との交流です。夜になるといくつかあるバーなど飲む所で楽しく歓談しています
    日の出日没もかかさず甲板で見ていますが、本当にきれいなものはまだ見ていません。水平線に雲がかかっていることが多いのです。
    2010年11月11日
    海賊警戒海域
    アデン湾に海賊が出る事は日本でも報じられ、知識としては知っていましたが本日説明会がありました。インド洋を西に進み13日にポイントCで船団を組み前後を自衛隊の護衛艦に守られそこから2日間で紅海入口のポイントAまで行くそうです。



    その間日没から日の出まで光りがもれないように窓に目張りし、部屋の窓にはカーテンをし甲板には出られません。もし海賊が襲ってきたら警報が鳴り部屋にかぎをかけて閉じこもるのです。
    そんな状況ですが、昼間船内では相変わらずのどかにプールやジャグジーで遊ぶ人、各種プログラムが開催されるいつもの光景です。



    2010年11月12日
    アラビア海航行
    海を眺め気の向いたプログラムに顔を出しのんびりとした一日が過ぎて行きます。
    洗濯ものはクリーニングサービスもありますが、ほとんど短パンTシャツなのでシャワーのついでに踏み洗いして部屋に干しています。だいたい1日で乾きます。どうも衣類が多すぎたようで着ていないものもたくさんあります。
    食事するレストランは洋食系の10階と和食系が6階にあります。朝食はカフェテリア形式で、10階でモーニングコーヒーを飲み6階の和食系に行っています。メニューは毎日変わり映えしませんが、少しずつ焼き魚などで変化があります。 昼食もほぼ朝とおんなじようなメニューです。夕食は6階で早番遅番の二部制に分かれボーイのサービスでとります。メニューは仰々しく書いてありますが、まあ定食屋を少しましにしたようなものです。
    好き嫌いなく食べているせいか体重が2キロほど増えています。
    7階の居室から最上階デッキの11階までエレベーターを使わず歩くようにしています。


    2010年11月13日
    ポイントC
    17時半ポイントCに到達しました。
    今朝の朝日は水平線に少し雲がありましたがきれいでした。
    周囲には船が多くなりここから船団(コンボイ)を組みます。六艘づつ二列で真ん中の前後に自衛隊の護衛が付きます。各船の間隔は1マイルで一番遅い船の速度に合わせて8ノットほどのスピードで進みます。

    わいわい甲板でまわりの船を眺めます。海の色はコバルトブルーのきれいな青で波のしぶきに虹ができていつまで眺めても飽きないのです。
    緊迫感はなく夜はシンガポール、スリランカで買い込んだ民族衣装のファッションショーが行われました。





    2010年11月14日
    コンボイ









    コンボイでの航行二日目です。船はアデン湾へと入っています。 船の生活は夜間のデッキ外出禁止くらいであとは変わりません。
    午後に9・11の謎という面白そうなプログラムを聞きました。9・11の公式発表にはこんなおかしなことがあるとか言うドキュメンタリーです。落ちた旅客機の残骸がなにもないとか、ビルの壊れ方は建物内部の爆発物によるとかいろいろあります。船に乗ってこんなものを見るのも妙ですが、こういう機会でないと見られないかもしれません。
    コンボイにも慣れ、周囲の船を眺めて過ごした一日でした。
    2010年11月15日
    ポイントA通過紅海へ
    ちょうど水平線に雲があり、海から上がる朝日とはいきませんがきれいです。日の出は毎朝起きて見に行きます。そのあと6時半からラジオ体操をしてモーニングコーヒー、朝食という日課です。
    いくつかのプログラムに出て海を眺めて食事して。あっという間に時間が経ちます。すっかり何もしない生活が板に着き、日記の更新もなかなかできません。
    夕方5時にポイントAに着き、ここでコンボイは解散です。先頭の自衛艦は左に旋回し、みるみる遠ざかっていきます。今度はA地点から新たにコンボイの護衛でC地点まで戻って行くらしいのです。
    年間300億の予算で行われているインド洋コンボイ護衛を体験した数日でした。
    2010年11月16日
    船上運動会
    朝のデッキで海賊警戒海域の経過を聞きました。実際頻繁に被害があるようで、このオセアニック号もC地点の前で不審船を発見して航路を変更したそうです。そんな事も知らずのんきに乗っていたのかと思うとぞっとしました。
    さて今日は船上運動会の日です。誕生月ごとに4組に分かれ綱引き、玉入れなど競いました。シニア組はもっぱら応援ですが、なかには積極的に参加する人もいます。
    結果所属の青組みはおしくも2位でしたが、旅行に参加した若者が早くから準備し一生懸命競技したり応援している姿は頼もしく見えます。
    終わってからの打ち上げで今夜はいつもより遅くまでみんな起きていたようです。

    2010年11月17日
    紅海を行く
    紅海もかなり奥に入って来ましたが、左右にはときどき島影が見えるくらいで大陸は見えません。紅海は日本列島がほぼ入るくらいの幅だそうです。
    海の波を眺めていると面白い事に気が付きました。
    なぎなのでしょうか、波が砕けずのっぺりとしています。外海の波を今まで見慣れていたせいか珍しく感じました。
    夕方いつものように夕日を眺めていると海が赤々と輝くのを見ました。初めは太陽から伸びた光の帯が海に輝いていましたが、またも出た水平線上の雲に太陽が姿を隠すと海が赤く輝き始めたのです。紅の海です。飽かずに眺めていました。

    2010年11月18日
    さらに紅海を
    朝日は船の後ろから上って来ます。紅海を西に向かっているのです。
    朝日を眺めてモーニングコーヒー朝食といつもの日課です。
    夕日を眺めるのも日課となっています。夕食時この船最高齢の89歳のご婦人と同席しました。かくしゃくとしたもので、とてもお年には見えません。高齢者も多くいますが、ほとんどは元気はつらつ健康優良老人と言ったところです。
    夜にカラオケ大会とベリーダンスサークルの発表がありました。ベリーダンスは甲板であり、風が強くちょとだけ見てカラオケに戻り出場する友達の撮影をしていました。カラオケは10時までがシニア組でその後は若者組となっています。
    2010年11月19日
    スエズ運河
    朝にスエズ運河に入りました。順番待ちで一列になり通過するのですが、待つ事もなくスムーズに入れたようです。
    今日はプログラム全てなしのリフレシュデ―となっています。甲板にみんな出てスエズの河岸を眺めています。思ったより狭い航路の左右は砂漠なのでしょうか砂地が続き平べったい大地が続いています。所々に緑の畑やナツメヤシの木が見えます。銃を持った歩哨も手を振っています。小さな漁船はクルーズ船の波に大きく翻弄されています。
    途中日本の援助で建てられたスエズ運河唯一の高架橋があります。真ん中には日の丸の旗が見えます。
    6時間ほどでポートサイドに到着しました。予定よりかなり早い時間です。
    下船許可が下り夕方のポートサイドの町を歩いてみました。金曜日でイスラムでは休日です。たくさんの人で町はあふれています。目だけ出した顔隠しで全身真っ黒な服装の女性や、カラフルなお飾り程度の顔隠しで歩く人などともかく女性がたくさんです。子供たちも女性と同様グループで歩きまわり、片言の英語で話しかけてきて握手をせがみます。
    友好的なのですが、ニーハオと呼びかけられ中国人と間違われているのです。
    2010年11月20日
    ピラミッド
    オプショナルツアーでピラミッド見学です。観光警察のパトカーの先導でコンボイを組み朝6時の出発でした。カイロには3時間ほどかかります。バスの中では皆熟睡です。
    階段ピラミッドをまず見学です。これは初期のピラミッドでバスの中で解説を受けました。
    昼食後は一番大きいいギザのピラミッド見学です。やはり実物は大きくカメラに収まりきれません。勝手に砂漠の中にあると思いこんでいましたが岩盤のような上にありました。
    階段があり少し上まで登れるようになっていました。そこからカイロの町が良く見渡せます。ピラミッドはこれも思ったより町のすぐそばにありました。
    その後はピラミッド群をまわり、途中ラクダに乗るオプションもありました。間近に見るラクダは可愛い目をしてちょこんとお座りしてお客が乗るのを待っていました。
    最後はスフィンクス見学です。回りは柵で囲まれ近ずけませんがスフィンクスの後ろにピラミッドというおなじみの景色を眺めました。
    ピラミッドの周辺はは外人の観光客も多く、もの売りはしつこく「ワンダラー」「ワンダラー」と絵葉書やらを押し売りに来て騒がしい限りです。
    2010年11月21日
    キプロス
    キプロスのリマソール港に着きました。
    ここでもオプショナルツアーで世界文化遺産パフォスへ行くコースを選びました。
    船を出発し、イギリス軍用地を通り美の女神アフロディテ生誕の地という3つの小島が見える所で写真ストップです。がけの上から泡立った海岸線が見えます。この泡から女神が誕生したと神話にあります。さらに小島に近づくと海岸には水着姿も見えます。しかし泳ぐには肌寒く日光浴をしているようでした。
    目指すパフォスの町に着いてすぐ昼食です。海鮮料理でエビなどが出てお腹が一杯になった後にまだ鯛、イワシや名前も良く分からない魚の塩焼きが出ました。ちょっと箸を着けただけだったので、魚好きとしてはお持ち帰りしたいくらいでした。
    何が世界遺産だか良く分からないのですが、王族の墓やディオニソスの館でモザイクを見ました。いずれも海沿いで天気も良く海の青さの方が印象に残る観光でした。
    途中ワインを買い帰ってからさっそく飲んでみました。少し渋みのあるワインですが値段の割には大変美味しかったです。
    2010年11月22日
    エーゲ海
    夜リマソールを出港しギリシャへと向かいます。ギリシャでは公安労働者のストライキがあり、翌朝早くに着かないと着岸できません。
    昼ごろにはロードス島を右に見てエーゲ海へと進みます。冬に向かう季節で海は荒れもようですが、島が次々に現れるのをデッキで眺めます。
    今日は二度目のフォーマルデーで一応背広で夕食です。女性は民族衣装や着物などで楽しんでいます。おまけに今日は船で親しくなった人の誕生日です。誕生日にはバースデーケーキが出てバースデーソングが流れます。席は入場順なので親しくなった人達とつれだってテーブル二席を占めお祝いしました。
    二次会に船のバーに行きました。かつてこの船が豪華客船として脚光を浴びていたころ乗った俳優たちの写真が飾ってあります。チャップリン、マーロン・ブランド、クラーク・ゲーブル、グレース・ケリーなどそうそうたる顔ぶれです。



    2010年11月23日
    ギリシャに上陸しそこない
    港湾労働者のストライキのため朝の6時までに入港しないと上陸できません。
    海は荒れ模様でタグボートと船とをつなぐ綱が切れるというアクシデントもあり、とうとう6時を回ってしまいました。
    船は港の外で給油などのためにゆっくりと待機です。何時まで経っても同じような所をぐるぐる回っているようです。甲板からはピレウスの町が見えるのに上陸できません。
    ギリシャではアテネのアクロポリス神殿を見に行く予定でしたが、船の上から双眼鏡で見えると言う人がいました。確かに丘の上にそれらしい建物が見えましたがはたして本物のアクロポリス神殿だったのでしょうか。
    いろいろな人がいるのは承知していましたが、今日は甲板から釣りをしている人を見つけました。結構釣れるようですが、糸がスクリューに絡まるから禁止だと言う人もいます。
    結局一日中沖合に船はいました。
    2010年11月24日
    シチリア島へ
    給油の遅れだとか何とかで結局出発したのは本日未明だったそうです。
    イオニア海をイタリアのシチリア島はカタニア港目指して船は進みます。
    そうは言ってもギリシャに上陸出来なかった無念さもありなんだかしまりのない一日となりました。
    乗船ひと月もたつとすっかり船の生活が板についてきます。
    時差はときどき1時間ほど遅れるのですが、それには関係なく11時就寝5時起床が基本です。7階の部屋から11階のデッキに日の出を見に行き、10階のプールわきで6時半からラジオ体操をして同じ10階でモーニングコーヒーです。7時からは6階で和食系の朝食です。終わって船友としゃべったり海を見たりしていると昼食です。午後も同じようなパターンで面白そうなプログラムに参加したりしていると5時半の夕食です。
    食事の時間を中心に生活のリズムが成り立っている気がしています。
    ちなみに体重は2キロほど増えたのを確認した後、体重計が壊れて現在不明です。
    2010年11月25日
    シチリア島カタニア
    朝着岸し、市内観光へと徒歩で出かけました。すぐに市街地で中心を目指し歩いて行くと市場がありました。魚、肉、野菜などの売り場に分かれています。魚はカツオ、イワシ、タコ、カレイ、アナゴなど日本でもおなじみのものが多く売られています。肉は半身のブタや大きなブロックが豪快に並んでいます。もちろんハムやソーセージなどのお店もあります。八百屋さんのオレンジが美味しそうです。

    象の鼻公園という所からまっすぐがメインストリートなので歩いてみました。ピースボートの人たちにそこかしこで出あいます。途中コーヒーをカフェで飲み昼食はワインとパスタにサラダです。特にお土産も買わず船の近くでワイン4本を買い帰船しました。 イタリアでもここらは田舎なのでしょう。ローマなどの賑わいはありませんが、素朴な市場を見られた事が面白かったです。
    買ったワインは早々試飲しましたが、5〜10ユーロでも私の舌には充分美味しく感じました。
    2010年11月26日
    チュニスへ









    シチリア島を前夜出発して、夕方にチュニジアのチュニス港に着きました。埠頭にはラクダが二頭お出迎えしています。港内にはショッピングモールもあり、他のクルーズ船も着いています。
    入国許可がおりショッピングモールに行ってみました。きれいなショップが並んでいますが、買い物にはあまり興味がないので眺めるだけです。回教国だけあってお酒は免税店でも売っていません。
    港はチュニスの市街からは離れています。早々に市街地まで行く若い人もいますが、こちらは船で夕食を取り明日に備えました。
    2010年11月27日
    チュニス観光
    電車で旧市街まで行ってみる事にしました。駅を探して歩いているとタクシーの客引きがたくさん寄ってきます。ドルも使えるようですが、ユーロが一般的なようです。もちろん現地通貨ディナールもあります。さて駅を探し当て切符を買うと400ディナールと日本円で数十円です。20分ほど電車に乗り旧市街最寄駅まで行き、出た所のカフェでさっそくお茶です。パンは旧フランス領だけあって大変美味しいです。10分ほどの道をあちこち寄り道しながら1時間もかけて旧市街に入りました。ここは世界文化遺産にもなっており、迷路のような路地の両側にはびっしりと土産物屋があります。
    お昼を食べてから水色の扉の家で有名なシディブサイドにまた電車で向かいました。40分ほど走ったでしょうか、これも運賃は数十円でした。
    ナジブデサイドの家々はどこも白い壁に扉が青く塗られ空の青さと相まって素敵な町並みとなっていました。
    2010年11月28日
    途中下船の友人
    チュニスを昨夜たち今日は一日中モナコに向け地中海を航海です。海は低気圧のせいで荒れています。そのため航路もいろいろ候補があり、結局コルシカ島やサルジニア島を大回りするコースになりました。
    昼過ぎに寄港地説明会がありました。明日からモナコ、マルセーユ、バルセロナと連日寄港します。その説明会でしたが、いずれもツアーを取らずにフリー観光としました。

    さてピースボートの旅は地球一周だけでなく、途中参加もありです。 横浜から乗りバルセロナで降りる人も数十人います。またもっと短期にエジプトで合流してバルセロナで降りる人もいます。
    船内ではいろいろな人と知り合いましたが、その中でも仲良くなった年配のY氏もバルセロナで下船する事になっています。明日のモナコで送別会をする事に話がまとまりました。
    2010年11月29日
    モナコ
    朝まだ暗いうちにモナコへ着岸しました。明るくなるにつれ岩山が背後に迫ったモナコの町並みを朝日が照らします。さすが世界の観光地モナコの景観です。朝日を浴びた海からの眺めはまた格別です。
    上陸しまずは大公邸を目指します。丘の上にあり、急な階段を登って行きます。
    上からの港を一望する眺めはまたまた素晴らしいものです。
    大きなスーパーで買い物をしていったん船に帰る事にしました。来た時とは違う、歩道が脇にあるトンネルがあり近道のようなので入ってみました。中の標識でニース方面に進み途中港方面に折れると船のすぐそばにポッカリ出ました。大公のお城を地下でくぐりぬけて来たようです。
    午後からはカジノのある方面に行って見ようとシーバスを利用しました。港を横切り対岸まで往復しています。
    シーバスの到着点の上にはメインのカジノがあります。パスポートがないと中に入れませが、外見を見るだけで充分です。カジノ周辺はブランドショップが並びボートの人たちも大きな紙袋を抱えていました。
    夜には友人の誕生日のお祝いとY氏の送別会をしました。
    2010年11月30日
    マルセイユ
    船は市街地からかなり遠くの港に着きました。タクシーの相乗りで市街地のはずれに着き、そこから道を尋ねたアルジェリア人と一緒に旧港の市場に向かいました。
    旧港の市場は魚市場で今朝獲れたような魚介を売っています。大体はシチリアで見たようなものですが、目新しい魚ではカサゴが目につきました。マルセイユの目的は発祥の地でブイヤベースを食べることに決めていましたので楽しみです。
    お昼になりましたがブイヤベースの店はなかなか見つかりませんでした。そんなに有名ではないようです。何とかメニュウーに見つけワインと一緒に食べてみました。
    何種類かの白身魚とムール貝、ジャガイモなどが塩っぽいスープに浮かんでいます。魚はまあ美味しいのですが、スープは塩辛くこれにガーリックなど塗ったパンを浸して食べるようです。まあ一度食べれば良いという感想でしたが、他の店で食べた人は大変美味しかったとの感想も聞きました。店によって味が違うのか、個人の味覚の問題かは不明です。
    食べ終わり外に出ると小雨が降り寒いのです。時間もまだ早いので小高い丘の上にあるノートルダム寺院にバスで行きました。眺めは良いのですが、雨で遠くはかすんでいます。傘も持たず出かけたので寒いマルセイユという印象だけ残りました。
    2010年12月 1日
    バルセロナ
    昼前にバルセロナ港に着岸しました。バルセロナは前にも訪れたことがあり、ここでもフリー行動にしました。
    港からコロンブスの像のあるところまでシャトルバスが出ています。そこからにぎやかな通りがあり市場もあります。一通りガウディのサグラダファミリアやグエル公園を見るつもりです。
    シャトルバスを降りるとツーリストバスの呼び込みをやっていました。市内を3コースにわけ走っていて、乗り降り自由です。当然サグラダファミリアやグエル公園もまわり日本語のガイドがイヤホーンから聞けます。よさそうだと思い乗り込みました。二階建てで二階はオープンになっています。気温は低く寒いのですが、眺めもよく十分冬支度なので大丈夫です。
    まずはオリンピック会場のあるモンジュイックの丘をめぐるコースを一周してみました。前に来たときは歩きと地下鉄でしたが、バスはかなり広範囲を解説付きで回ります。途中公設市場があったので降りてみました。
    地元の市場らしく肉や魚を売っています。中にイワシや肉などをオリーブ漬けにした店があり数品買うと彩りよくおまけも付けてくれて「アリガトウ」と片言で言われました。
    バスのコースをいくつか乗り換えてサグラダファミリアやグエル公園を見て回りました。サグラダファミリは内部の礼拝堂が半分完成していて高い天井とステンドグラスが荘厳な雰囲気を醸し出しています。
    寒かったのですが、バルセロナは何度でもまた来たくなる街でした。


    2010年12月 2日
    リフレッシュデー









    今日はリフレッシュデーで特に催しもなく、あわただしかったヨーロッパを離れカナリア諸島に向けての航海です。ゆっくりとお休みくださいという日です。右手にスペインの沿岸を望みジブラルタル海峡を目指しているのです。
    こんな日でも船の乗組員は仕事をしています。
    乗船客700名に対して船の乗組員や我々にサービスする人は400名もいるそうです。
    一日海を眺めた夜には、買い込んだ生ハム、チーズにイワシや肉などのオリーブ漬けを肴にワインを飲みました。特にイワシのオリーブ漬けはマリネのように酸味が利き大変おいしいものでした。
    そんなわけで今日は一日四食となりました。
    2010年12月 3日
    ジブラルタル海峡
    ほぼ毎日朝日と夕日の時刻にはデッキに出て見ています。時差もあり毎日は大変ですが、それでもいつもデジカメで決まって撮っている人も見受けます。
    今朝は日の出8時13分と船内新聞にあり、朝食時も外は暗いのです。
    朝食をすませ11階のデッキに出てみました。空は紺色で海は暗い夜の色です。月と星がまだ見えていますが次第に水平線が明るくなってきます。水平線は弧を描き地球の丸さを感じます。そのまま太陽の上がるのを待っています。おそらく船でしか味わえない時間をすごします。
    今日は午前中にジブラルタル海峡を通過します。最上階のデッキが開放されジブラルタル海峡の通過を見守ります。海峡は思ったより広く、地中海に流れ込む潮流が激しいそうです。
    途中何げなく海に目をやるとイルカの大群が現れました。どうやら第一発見者のようで、たちまち皆のカメラはイルカを追いかけ始めました。

    2010年12月 4日
    カナリア諸島へ
    朝焼け夕焼けの見事な一日でした。
    それ以外は船の生活は単調です。荒れている海を眺め三食を食べた以外は後になると思い出せなくなります。
    このブログも毎日書いていればよいのですが、怠惰の極みの生活のため怠りがちです。
    そんな時はデジカメ写真で何とか記憶を呼び戻しますが、今日の写真は朝焼け夕焼けと荒れた波ばかりでした。
    実はプリンターの電源ケーブルを紛失し困っていましたがこの日に貸してくれる人が現れました。残った名刺をプリントしてこれで一安心です。名刺作成ではいろいろな人と知り合いになりましたが、忙しくて時間がなくなりもう打ち止めにしようと思います。
    2010年12月 5日
    カナリア諸島
    朝カナリア諸島のラスパルマスに着岸しました。船から眺める街は思いのほか大きく遠くには高い山も見えます。
    ここも特に予定もなくフリーにしました。
    シャトルバスで船から中心街近くのアクセスポイントに行くと、バルセロナと同様に巡回ツアーバスが客引きをしています。15ユーロだとのことで早々乗り込むことにしました。
    街の外れまで30分ほどですが住宅街や小高く見晴らしの良いところを走ります。バルセロナと同じ二階建てバスですが、気温も高いので二階席にみな乗って眺めを楽しんでいます。
    街の外れは旧市街で石造りの古い建物が集まっています。今日はスペインの三連休中とかで店はほとんど閉まっています。市場もありましたが閉まっていて外観を眺めるだけでした。
    昼食はカフェテリア風の店で取りましたがスペイン語がわからず、何とかサラダやカナリア諸島の郷土料理など頼みました。この郷土料理は豆やジャガイモなどと肉の小片が入った煮込み風のものでそうおいしくはありませんでした。
    バスで中心地区に戻り店屋を探しますがことごとく閉まっています。
    デパート風なお店を見つけその地下のスーパーでワインや生ハム、チーズ、オレンジなど買い込み帰船しました。
    途中雨も少しパラつき、トレッキングに出かけたグループはコースを変更したほどの雨にあったようです。
    2010年12月 6日
    大西洋









    カナリア諸島を夜に出発し南西にドミニカに向けて航路をとっています。大西洋横断ですが、低気圧の影響とかで船はかなり揺れます。
    船酔いにも個人差があるようで私は全く大丈夫ですが、酔う人は食事もとれず大変です。船には無料で酔い止め薬が用意されています。
    天気も悪く日の出日没もだめで、波を眺めたりしているうちに時間が過ぎていきました。
    最近は自主企画コースのストレッチに出ています。1時間ほどストレッチをしますが硬い体も少しはほぐれるようで気持ちがよいです。
    2010年12月 7日
    荒れ模様
    昨日に続き荒れ模様の天候です。北に大きな低気圧があり船はそれを避け南に進路をとったようです。
    昼には雨がぱらついてきました。相変わらずの揺れでデッキから船尾を見ると、 水平線が見えなくなるほど持ち上がった後はグンと沈み込み視界には海ばかりとなります。縦ゆれとおまけに横揺れもかなりあります。
    不思議なもので船酔いも慣れがあるようです。以前なら騒いだほどの揺れでも食事やイベントはいつも通り行われています。
    朝日はだめでしたが夕日は船橋横にきれいに見えました。
    2010年12月 8日
    パソコン壊れる
    久しぶりにピースボート日記を更新アップした後にパソコンが不調になりました。
    しばらく前から「バッテリーを交換してください」とメッセージが出ていましたが、とうとう電源が入らなくなってしまいました。 バッテリーを外して試みましたがだめです。電源につなぎっぱなしでどうなるかと様子を見ていましたがそれでもだめです。
    とりあえず困ったことはホームページの更新ができなくなることとデジカメ写真が取り込めなくなることです。
    80ギガの外付けハードディスクを持ってきているのでデジカメ写真は取り込めますが、誰かにパソコンを借りなければいけません。そのほか困ったことはFTPのパスワードがわからないのです。これは家へ控えを見てくれるようヤフーメールで頼みましたがどうなることやらです。
    今日も相変わらず揺れがひどい一日でしたが、イベントとして卓球大会が行われました。

    2010年12月 9日
    パソコンを借りる
    波もそろそろ落ち着いてきました。よい天気で海も空も青く気持ちのよい航海をしています。
    気がかりだったパソコンは使っていない人から借りることができました。当面外付けハードディスクにデジカメ写真と日記を書いておくことにします。何が必要か考えるとあとは画像ソフトがぜひ欲しいところです。
    今日のイベントは沖縄デーとして硬柔いろいろな催しがあります。基地問題や沖縄生活体験談など昼間にあり、夜は踊りと歌で盛り上がりました。若者は企画から実施まで楽しんでやっていますが、年配者も負けずに楽しんで参加しています。
    今日の夕日もブリッジのそばに落ち、夕焼けが空を染めました。
    2010年12月10日
    ブリッジ見学会
    今日の朝日は水平線のすぐ上に雲がかかってその隙間にあがりました。わずかの間でしたが水平線から昇る太陽には見とれてしまいます。
    イベントとしてブリッジ見学会が行われ参加しました。ブリッジは操舵室の別名で左右に橋のように突き出た船橋を持っていることからそう呼ばれています。15名ほどの希望者のグループで何回にも分けて実施されました。

    操舵室の中はレーダーや舵、コンパスなどありますが実際の操縦はほとんどコンピューター任せだそうです。もちろん船首の最上階で見晴らしの一番良いところなので鯨やイルカなどもいち早く発見できるそうです。レーダーに右前方に何か映っているといわれ、貸してもらった双眼鏡で海を眺めましたがそうそう発見できるわけもありません。また古い船なので今では使われなくなった伝声管など珍しいものもありました。
    夜はまたカラオケ大会で、同部屋のKさんの応援に行きました。Kさんは民謡も上手で船内では将棋、マージャンなどでも仲間を作り大いに楽しんでいます。
    2010年12月11日
    航路説明会
    朝日夕日ともに見事な日でしたがお昼には少し雨が降りました。
    航路説明会があり、これから訪れるドミニカ、コロンビア、パナマ、エクアドルの説明を受けました。
    どこも外出には注意するようにとのことで、スリや強盗がうようよいるような話です。コロンビアはフリーで行動の予定ですので不安です。
    寄港地で渡されるのは1枚の寄港地情報と簡単な地図だけで、個人のフリー行動の情報はすこぶる不足ですが、何度かフリー行動をするうちにいくらか要領もわかってきました。寄港地では商売チャンスで受け入れ体制ができています。ヨーロッパでは巡回観光バスがあり、またタクシー借りきりをして主な観光地を回る方法もあります。
    船ではほとんど自由行動の人と全部ツアーをとる人がいます。私は自由行動メインで時々ツアー派です。
    2010年12月12日
    ソンブレロ島
    島影ひとつ見えなかった大西洋もいよいよ西インド諸島に近づいてきました。そのためか昨夜からカモメのような海鳥が船の周りに集まってきました。
    明るくなり海鳥の動きをみると、海中に飛び込んで魚を捕っているようです。きっと船が巻き起こす波に魚が驚き浮かび上がるのを狙っているのでしょう。飛び込む瞬間の写真を狙ってみましたが難しいものです。

    島影も次々と現れソンブレロ島の脇を抜けドミニカを目指します。
    夜になるとサルサ祭りがありました。
    船ではダンスも盛んでなかには踊るために乗ってきたような人もいます。社交ダンスにベリーダンス、サルサ、日舞、盆踊やよさこい踊りまでいろいろな自主講座があります。
    さてサルサ祭りでは簡単なステップなので踊ってみました。老若男女入り乱れサルサを踊るなんてピースボートならではでしょう。
    2010年12月13日
    ドミニカのラロマーナ
    ドミニカに到着する日ですが、昨夜南十字星が見えたという情報で、朝5時から南十字星を見る会が催されました。
    まずは教えられて一回り大きな偽南十字星を探します。そのうち偽南十字星の左に水平線近く一回り小さな本物の南十字星が現れました。確かに十字の姿に見えます。船は揺れるしデジカメで撮るのは無理なので肉眼でしっかりと眺めました。
    ドミニカはサントドミンゴに着く予定が港の浚渫工事のため着岸できず、ラロマーナという港に入ることになりました。ここはマイケル・ジャクソンが結婚式を挙げた保養地とのことです。
    世界遺産の街サントドミンゴへは車で2時間もかかるとのことで、楽しみにしていたのに残念です。
    物騒なところだとかで名産の葉巻工場などを見る午前中だけのツアーに参加してみました。町の中心地で小休止しましたが、教会があるだけで商店らしいものは見当たらず、若者が職がないのかうろうろしていて雰囲気が怪しいのです。
    従業員5千人もいるという大工場で手作業で葉巻を巻くのを見学し、自由行動になってから船の近くのスーパーに買い物に出かけてラロマーナは終わりです。
    2010年12月14日
    カリブ海
    ドミニカを出てコロンビアに向け南下しています。暖かくTシャツ1枚で十分です。
    海は毎日眺めていますが、今日の海はのっぺりとした波がゆっくりと揺れているだけです。カリブ海に入ったせいなのでしょうか。こういう日は何もせず、飽かず一日海を眺めています。
    朝焼けと夕焼けとのっぺりとした海しか印象に残らない日でした。

    2010年12月15日
    コロンビアのカルタヘナ
    コロンビアのカルタヘナへ着岸です。
    コロンビアは怖いところと聞いていますが自由行動です。一応旧市街は世界遺産なので行ってみるつもりです。
    良くしたもので必ず同じようなフリーの人がいます。そんな4人で港の外に出るとタクシーが客引きしています。60ドルで時間制限なしという条件で交渉成立です。回りたいところはリストで運転手に見せ回ってもらいます。

    サンフェリペ城砦やサンペドロ寺院などの旧市街は車から降り散策します。旧市街はコロンビアのノーベル文学賞受賞作家ガルシア・マルケスが世界で一番美しい街といったそうで、カラフルな石造りの建物がしっとりとたたずんでいます。運転手も一緒に回り説明してくれますが、お互いカタコト英語でほとんど通じません。でも何となくわかり合えるのが不思議です。要所要所ではツアーの連中に出くわしますが、こちらは時間も回るところも自由で、しかも費用は少なくてすみました。
    2010年12月16日
    パナマのクリストバル
    昼にパナマ運河入り口のクリストバルに着きました。順番待ちで明日パナマ運河を通過です。
    ここは一番危険だとか脅かされ、ガツン閘門を陸から見るツアーに参加しました。
    パナマ運河は人造湖のガツン湖などつなぎ太平洋と大西洋に落差があるため閘門と呼ばれる仕切りでその落差を越える仕組みになっています。ツアーはガツン閘門を陸地から見るというものです。折りよく船が通りかかりましたが貨物船で見栄えがしませんでした。
    見学を終えると自由時間ですが、船の前の土産物屋と近くのフリーゾーンと呼ばれる一帯以外は危険だと言われ、それ以外は行ってみませんでした。町には防弾チョッキを着た警官が目に付きました。
    郵便局に行くためゾーンを越えようとした人は地元の人に身振り手振りで身ぐるみはがれるからやめろと止められたそうです。
    船の前の土産物屋は安全なのでぶらぶら冷やかしスーパーではワインとつまみを買い込みました。
    2010年12月17日
    パナマ運河通過
    早朝パナマ運河通過に向け船が出発です。
    ほどなく昨日陸から見たガツン閘門に差し掛かります。船腹ぎりぎりの水路に入るとまず後ろの閘門が閉められ、前方の高い水路との仕切りの閘門から水が入ってきます。そして水位が同じになると閘門が開き船は前方の水路へと進みます。これを3度繰り返し登ってガツン湖へと入ります。
    スエズ運河に比べ湖あり、ジャングルありで沿岸は見ごたえがあります。最上段のデッキも開放され終日満員です。ワニを見たとか言う人もいましたが、残念ながら水鳥以外は見ることができませんでした。
    ガツン湖から太平洋へは水路を順に降りていきます。太平洋に出たところからははるかに高層ビル群のパナマシティーの町が見えてきます。
    2010年12月18日
    太平洋
    太平洋に入ったというのに天気は雨。とても朝日は望めない夜明けとなりました。
    船は終日エクアドルを目指し航行しています。赤道に近づいているのに肌寒くなりTシャツに1枚はおりちょうど良い具合です。
    船内の企画ではガラパゴスやイースター島それにマチュピチュ、アンデス関連のものが多くなりました。ガラパゴスやマチュピチュのツアーがある関連なのでしょう。
    ピースボートの寄港地オプションとしてオバーランドツアーがあります。たとえばエクアドルに寄港して飛行機利用でマチュピチュを見てイースター島で落ち合うという具合に、船がのんびり走っている間に寄り道をして先の港で合流するわけです。
    昼から雨はやんできましたが曇天で海も灰色。眺めても面白くないので南米の映像や話を聞いて終日過ごしました。

    2010年12月19日
    エクアドルのマンタ
    昼前にエクアドルのマンタに到着しました。
    エクアドル5番目の都市だそうですが、見たところ漁港でわが湘南の茅ヶ崎港と似たようなものです。
    オプショナルは歓迎式に出ることにしました。これはマンタの市長も来てスピーチの後交流の踊りなど披露しあうものです。
    気温は30度近く、汗は出るし何しろ太陽が強烈で2時間あまりですっかり日焼けしてしまいました。
    昼食後ビーチ沿いの道をスーパーマーケットまで買い物に出かけました。面白いことにバスの運転手や通行人が盛んに写真を撮ってくれとアピールするのです。走っているバスがクラクションを鳴らし停車して運転手が写真を撮ってくれと言うのには驚きます。特に見るものもなく途中の博物館に寄ると、受付の男性がライフル銃を持っています。スーパーでは今日は日曜日で酒類の販売が禁止されているそうで、ワインの補充はできませんでした。
    帰りは海水浴場になっているビーチを船に向かい歩きます。途中名物のエビのセビッチェを食べてみました。レストランでも飲酒が禁止されているはずですが、入ったレストランではビールが飲めました。
    2010年12月20日
    赤道祭りと夏祭り
    マンタを出港してから気温が下がりTシャツ1枚では寒くなりま した。ペルー海流という寒流の上を航海しているためら しいのです。
    実際に赤道を通過したのはマンタ到着日の深夜だったようですが 、今日は赤道祭りと夏祭りです。会場は10階のプールデッキです。いつもいる8階にくらべ、人が大勢のためか日がよくさすためか気温がだいぶ高いです。

    昼間の赤道祭りは輪投げやゲームの模擬店もオープンして浴衣姿の女性も大勢いま す。お神輿が出たり、最後に赤道を模した赤い輪を皆でくぐり祭りは終わり です。
    夜になり夏祭りとなりました。こちらはやぐらを囲み盆踊りです。炭坑節や東京音頭に混じりサルサなども踊られました。
    ピースボートのイベントは準備に大勢のボランティアが参加します。毎日遅くまで準備を熱心にしているのを見かけます。若い人は学園祭ののりで熱心にやっています。
    2010年12月21日
    ゴスペル
    曇りで相変わらず寒い日が続いています。波も荒いのです。
    陸地をもうずいぶん離れているのに夜明けから船の脇を鳥が飛ん でいます。前に見たカモメに似た鳥ですが、いつの間にか いなくなってしまいました。こんな海の真っ只中にどこから来た のでしょうか。

    さてクリスマスも近づいたためか、ゴスペルの合唱団が結成され ました。先生はマンタから乗り込んだゴスペル歌手です。面白そ うなので参加してみることにしました。練習は1時間ほど「オーハッ ピーデー」と「もろびとこぞりて」を歌います。ジェスチャー付 でゴスペルを歌うのは楽しいものです。
    午後には天気も回復し青空が見えてきました。やはり青空と青い 海を眺めないと航海も面白くありません。
    2010年12月22日
    南十字星
    マンタから船はずっと南西に舵を取りイースター島へ と向かっています。
    今日は早朝4時半から南十字星を見る会が開催されました。
    前回ドミニカで見て以来ですが、水平線よりかなり上がって見ら れるとのことでした。
    風が強くやや曇り空でしたが幸い南十字星ははっきりと見えまし た。前回はかなり水平線に近く見づらかったのですが、南緯10 度の南十字星は感動ものでした。(写真の右上が偽南十字星、左下が南十字星です。)
    この日電源が入らなかったパソコンを試したところ復旧していま した。
    下書きの「ピースボート日記」は本文だけなので、あわてて写真を入れ、HTMLになおしアップしました。
    借りたパソコンでほとんど支障はないのですが、プロバイダーへ のFTPパスワードが分からずHPの更新ができないので困っています。
    2010年12月23日
    トビウオ
    マンタとイースター島とのほぼ真ん中に差し掛かかりました。相変わらず寒いのですが、心なしか少し和らいだ気もします。
    イースター島とタヒチの航路説明会が行われ参加したほかは特にすることもなく、昼食後いつものように海を眺めて、波が砕けるたびに現れる小さな虹を撮影していたところ、目の前の海にトンボの大群が飛ぶようにトビウオが現れました。 とっさのことで残念ながらうまく撮れません。かなり小さなトビウオでちょっと私のカメラでは無理のようです。
    朝日や夕日は曇り空ではっきりとしません。日の出は6時51分日没が20時3分と遅いので、暗いうちに朝食、明るいうちに夕食となり妙な感じです。



    2010年12月24日
    クリスマスプレゼント
    クリスマスイブの日です。
    この日は抽選で部屋ごとにプレゼントがあたります。結果なんとわが部屋が1等になったのです。商品はスイートルームでスペシャルディナーをプレゼントというものです。いつの日になるかは分かりませんがシャンパンくらいは付いたご馳走だろうと期待しています。


    イブの夕食はちょっとしたご馳走でした。メインはクリスマスチキンとかでなかなか美味しかったです。やれば出来るのにと同席の人たちと言い合いました。
    普段の夕食は6階のレストランでボーイの給仕付ですが、そうたいしたものは出ません。
    夕食後はプールデッキでクリスマスパーティーがありました。これから行くイースター島の踊りが披露され、生誕劇やジャズ演奏の後ゴスペル隊の出番です。風も強いので自分ではよく聞こえませんが、観客の反応は良いようです。歌い終えて最後は清しこの夜で締めです。
    若い人たちは夜遅くというより夜明けまで起きていたようです。
    2010年12月25日
    クリスマス
    イブに遅くまで若者が起きていたためか午前中は静かな船内でした。
    マンタを出てから毎日波が荒く天気はあまり良くありませんでしたがようやく落ち着いてきたようです。縦波はまだあるのですが、日中晴れ間が広がります。



    ここ数日で海の色が変わってきました。次第に紺色が強くなり、濃紺の海に船の立てる波の泡が溶け込むと白濁の下は淡い水色となります。飽かずに眺めています。
    さて昨日に続きまたもラッキーが舞い込んで来ました。
    ビンゴ大会が夜行われ、賞品をゲットしたのです。10人ほどのビンゴが出た後で賞品が少なくなりましたが、タヒチでマッサージというのを当てました。タヒチはフリーだったのでこれでゆっくり出来るというものです。
    2日間にわたりついていましたが、来年の運を先取りしたのではと心配です。
    2010年12月26日
    イースター島到着










    夜明けにイースター島へ到着しました。島には大型船が着岸できる港がないので沖合いに停泊しています。
    朝日はイースター島の山から昇ります。次第に明るくなるにつれ町の建物やモアイ像が見えてきます。
    甲板は鈴なりの人でみな明けていくイースター島を眺めています。イースター島は今回の航海の目玉のひとつで、ほとんどの人が楽しみにしています。もちろん私もそうで、小さいころ読んだ「コンチキ号漂流記」以来の憧れの地です。
    沖に停泊した船からはボートで上陸します。10人乗りほどの小さなボートでピストン輸送です。波が荒いと上陸できないこともあるそうですが、幸い穏やかな波でした。
    上陸は今日と明日の二日に分けて行われることになりましたが、私は明日の予定です。
    一日中目の前のイースター島を眺めているのは少し寂しいのですが、のんびりした一日でした。
    2010年12月27日
    イースター島上陸
    前日にもまして穏やかな波のほとんどない朝を迎えました。
    8時過ぎから順番にボートで上陸です。
    船の4階の海面すれすれの出入り口が開きそこに踊り場が設けられています。そこからボートに乗船し、船がみるみる遠くなるのを眺めているともうイースター島の波止場です。どこか田舎の海水浴場のように数件の土産物屋やレストランが軒を並べています。しかもそこにはモアイが2体もあります。これは観光客目当ての飾り物かと思いましたが本物です。かなりモアイはありふれているようです。
    今回はツアーで小型バスに乗り、まず日本の企業がクレーンで立て直した15体のモアイを見に行きます。さすがに実物の迫力はすごく、晴れた空青い海にモアイと言う絵に描いたような景色でした。
    次はモアイが作られた山すそに行きましたが、作りかけのモアイがごろごろとありました。
    島の裏側のきれいな砂浜で昼食です。ここは最初に島に来た人が上陸したと言う伝説の場所で、最近まで砂に埋まっていたためきれいな顔をしたモアイがありました。
    砂埃の道を走ってまた波止場に帰る途中に唯一目のあるモアイも見学です。途中放置されたようなモアイもところどころで目にしました。 なにしろ千体以上のモアイが狭い島にあるそうです。
    ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結んだ三角形がポリネシアですが、その東端のイースター島は一番近い島からも1千K離れているそうです。モアイがなければわざわざ来る人もいないほどの絶海の孤島です。
    船は夕方出帆となり、モアイの島を半周回り弓矢が弦を離れるように北西に向け進路を転じました。
    2010年12月28日
    お刺身
    波は静かで濃紺の海の色は変わりません。
    イースター島の興奮もおさまり船内は年末年始モードに切り替わりました。
    ゴスペルは年末に第九をやることになり初練習です。数日で出来るようになるのか不安ですが皆のノリは良いので何とかなりそうです。
    さてイースター島観光はさまざまです。オプショナルツアーではピースボートらしい「イースター島のごみ問題を考える」から「現地料理を一緒に」などなどがあります。
    普通の観光コースに加えフリーコースもあり、友人の一人はフリーで釣り竿を手に上陸しました。もちろん釣り三昧をもくろんでのことです。
    その友人から今日午後招待がありました。イースター島で釣った魚の刺身を食べさせてくれるというのです。
    デッキの日陰を選び宴会です。刺身には持参のわさび、醤油も用意されています。釣った魚の写真も見せてもらいましたが熱帯魚のような派手な色彩の割には白身の淡白な刺身でした。お刺身にワインとデザートにはエクアドルで買ったマンゴーがちょうど完熟で楽しい午後のひと時でした
    2010年12月29日
    イベントもない日
    今日は特にイベントもありませんでした。
    こういう日は日記を書くのに困るのですが、今日何をしたか書いてみます。
    朝6:30に10階でラジオ体操とモーニングコーヒーでスタートです。
    今朝の日の出は7:04で、待ちながら朝食をとりました。ほとんどの日は水平線に雲がかかり水平線から昇る太陽はめったに見られません。
    案の定雲の上から昇った朝日を眺め終えて部屋に戻りシャワーを浴びます。その後は8階のフリースペースに移りパソコンで写真の整理と日記を書きます。
    10時からは「ポリネシア失われた楽園」というタヒチで行われた原水爆実験の記録映画を1時間見ました。
    11時半から10階のプールデッキで昼食です。6階のレストランは和食中心ですが10階は洋食中心でどちらへ行っても良いのです。
    午後からも予定がいっぱいです。12:55から1時間ストレッチ。14:20〜15:10ゴスペル練習。3時のお茶のあと15:30〜17:00伊勢崎賢治氏の「平和はつくれるのか」を聞き終えて夕食。18:20〜19:00懐メロを歌う。
    あとは一杯やって20:57の夕日を眺め今日は終わりです。
    前日夕方発行される船内新聞で翌日大体の予定は立てていますが臨機応変で気の向くままです。
    2010年12月30日
    更新できません
    年も押し迫り今年もあと二日となりましたがいつもと同じような日常です。大掃除もお正月の支度もありません。
    さて船に長く乗っていると次第に日にちや曜日の観念がなくなってきます。また時差がここ数日連続して発生しました。時差調整が1時間ずつ3日続けば3時間遅くなる計算なのですが、あまり関係なくいつも5時ころには目が覚めます。船揺れのなれと同様すっかり船の生活に体が慣れたようです。ちなみに時差に関係なく、食事時間が来るとちゃんとお腹もすいてきます。
    本題ですが、このところパソコンの調子もよくHPの更新も出来ていましたが、今日更新しようとしたら立ち上がりません。
    とうとう新しいFTPの立ち上げをしなければ更新出来ない羽目になりました。なんとかFTPでサーバーまでは行くのですが、またパスワードを要求され何を入れてもだめなんです。トホホです。夕食のうなぎを食べ頑張ってみますか。


    2010年12月31日
    大晦日
    大晦日といっても30度を超す洋上ではそんな雰囲気がありません。とはいっても夕食には蕎麦が出て、夜は船内紅白歌合戦があり徐々に雰囲気が盛り上がって来ました。
    紅白歌合戦は予選があり決選には男女10組が出場しました。一番広いラウンジは満員です。何人かは友達も出ているので応援をしました。


    夜もふけて12時前からカウントダウンが始まります。テン、ナイン・・・ワン、ゼロでクラッカーを鳴らし抱き合いハッピーニューイヤーです。
    ところが今日は時差が1時間発生するため12時で1時間戻り11時になります。つまり またカウントダウンがあり、二度目のハッピーニューイヤーがあるのです。
    まあ船ならではの年越しでした。
    2011年 1月 1日
    新年
    新年明けましておめでとうございます。
    船の朝食はいつもと変わらず雑煮も出ません。多分年寄りが多くて喉に詰まらせると困るからとか陰口も聞こえます。
    プールデッキには鳥居が作られ「七十一神社」とあります。 今回の航海が71回なのにちなんだのです。餅つきや鏡開きもあり昼間から良い気分になり、昼寝をしてしまいました。
    目が覚めるとフリースペースでは書き初めや俳句が張り出されています。
      ☆えとらんぜモンパルナスの冬の虹
    夕食はさすがにお節料理が出ました。キントンなど甘いものが多く彩りは綺麗でした。
    2011年 1月 2日
    パソコン復旧か?
    連日30度を越し暑い正月です。
    一夜明けると正月気分はなく普段どおりの日となりました。正月三が日は昼酒におせちと雑煮の生活が恋しいです。
    それでも飲んだ昼酒が効きまたも昼寝です。ほとんど何もしない一日でしたが試しにパソコンを立ち上げたら上手く行きました。あわててメールと日記の更新をしました。

    夕飯にはサバの味噌煮がでました。魚はほとんど焼き物で煮魚は初めてでした。煮魚好きの私としては嬉しいのですが、正月としては寂しいものがあります。
    夜にはジャズ演奏があり、知り合いがドラムを叩きましたが上手で感心しました。
    元旦に続き朝日も夕日も拝めません。


    2011年 1月 3日
    タヒチ到着
    今日は最後の寄港地タヒチに到着です。
    朝食の時前方に島影が見えてきました。高い山が海面から突き出たような島です。海鳥も船に飛んできます。無人島のようでタヒチではありません。
    それからは島影も見えず、昼ころにようやくタヒチ島が見えてきました。
    予定より早く午後3時ころには上陸できるそうです。

    港はパペーテの町のすぐそばです。船から眺めると小さな家が点在して背後の山の中腹にも広がっているのが見えます。
    上陸許可が下りてすぐ前の町に繰り出します。町は店が閉まり賑わってはいません。お目当ては横浜までの酒と食料それに最後のお土産です。少し離れたスーパーまで行きましたが、聞いていた通り値段が高いのです。 日本と同じかそれ以上の感覚です。
    夜は港の前の公園に食べ物の屋台が出ます。焼きそばなどの中華やタヒチ料理がメニューです。まずは久しぶりのステーキを食べましたが、200グラムくらいで1,000円ちょっとでした。
    2011年 1月 4日
    タヒチ・モーレア島
    昼過ぎにビンゴの景品のマッサージがあると連絡がありました。それまでの時間タヒチ島の隣のモーレア島まで行ってみることにしました。
    船の着いた隣がフェリー乗り場で高速艇では30分で行けます。
    まったくのフリーで交通事情が不安でしたが、行ってみるとバスがありました。島を一周するのかと乗り込み、1時間ほど走ったちょうどフェリーの発着場とは反対の所が終点で降ろされてしまいました。
    帰りのフェリーの時間に間に合わないため付近の店からタクシーを呼び、どうせならと残りの半分を回りフェリー乗り場へと帰りました。
    モーレア島は緑と花が多い島で、海沿いの道からはサンゴ礁に囲まれた海も臨められ来て良かったと思いました。
    帰ってからのマッサージはリゾート施設のスパで受けました。揉み方が弱くもの足りませんでしたが、スパはホテルの中にありプライベートビーチなど散歩もして満足しました。
    夕食はポアソン・クルーという生野菜と魚の刺身をココナツミルクあえしたタヒチ名物の料理を食べてみました。大変美味しいのですが、欲を言えばさらに醤油とワサビが欲しいところです。
    夕食の最中にヤシの木をシルエットにして夕日が沈みました。幻想的な南国の夕日です。
    2011年 1月 5日
    タヒチのマグロ
    昨夜タヒチを出帆し穏やかな海を航海しています。
    最後の寄港地を離れた寂しさと次は日本へ帰るのだと言う安堵感がわいてきます。おそらく船のみんなも同じ思いでしょう。
    昼からタヒチで仕入れたマグロの解体ショーが行われました。そのあと兜二つと刺身の大きな柵が入札され、兜は6千円刺身は1万円以上で落札されました。マグロにそんなに詳しいわけではないのですが、見たところトロ身もなく色もうまそうではありません。カジキマグロのような色合いです。
    それでも居酒屋波平の夜のメニューにマグロの刺身が登場するとのことで行ってみました。
    出た刺身は案の定水っぽくマグロとしてはかなりのものでした。
    まあ醤油にワサビがあったから食べられたもの、昨夜タヒチで食べた刺身を思い出し溜息でした。




    2011年 1月 6日
    オプショナルツアー
    寄港地ごとにオプショナルツアーがあるのは書いたと思いますが、通常の観光の他にピースボート独自の現地の人との交流ツアーがあります。
    タヒチでの現地人との交流ツアーに参加した人から面白い話を聞きました。
    トラックを改造したバスで山道を行ったところ途中で何人か現地の人が乗り込んできたそうです。
    目的の村に着いたところ、その乗り込んできた人たちが交流の相手でトラックから降りて出迎えてくれたそうです。通常いる子供も学校とかでいなく、持って行った文房具を渡す相手もおらずまずは拍子抜けしたそうです。
    そのうち現地の食べ物で昼食となり、見ているとパンの実ですかこねて何か具を混ぜ始めたそうです。ところがハエがぶんぶん飛び回る中での料理ですから食欲もわきません。
    出来あがった料理を言われるまま手づかみで食べていると現地の人はスプーンで食べているのです。もちろん即スプーンを借りたそうです。
    地面は雨で泥状になっていてズボンは泥だらけになるし、泳げるはずだった川は泥水でさんざんだったとこぼしていました。
    もちろん他の寄港地で感動的な交流をしたという話もたくさん聞きました。
    話してくれた人も面白おかしく話していましたが、それなりに楽しかったようです。
    写真の人はタヒチからゲスト乗船した益戸育江さん。高木沙耶さんとして女優業の傍ら自然との共生など実践しているそうです。
    2011年 1月 7日
    星空
    夜になると星空を見るのも習慣になって来ました。
    星に詳しい人の天文教室も開かれています。おかげで南十字星も見つける事ができ、オリオン星座やシリウス、カノープスなども見分けがつきます。
    星座のフリーソフトもあり、これをもらいインストールしました。経度緯度を入れると星座が現れます。日時を変えるとその時の星空が見えて楽しいものです。
    この日は北に北斗七星も見えました。
    ところが揺れている船から写真を撮るのは難しいいのです。
    写真は私がかろうじて撮ったオリオン星座(真ん中に三つ星)と友人が撮ったタヒチ島の南十字星(真ん中のヤシの木の上)です。
    2011年 1月 8日
    スペシャルディナー
    クリスマスの抽選で当たったスイーツルームのバルコニーでディナーの日です。
    この日はトビウオを良く見かけました。
    カメラを連写にして構えていると運良くトビウオが群れで波から飛び出してきました。肉眼で見るとはっきり見えるトビウオも写してみると小さなもので、それと注意しないと見落としてしまいます。
    ディナーは夕方6時に部屋にお迎えがあり、11階まで同室3人と行きます。部屋のバルコニーにはテーブルが用意されシャンパンも冷えています。
    フォアグラのテリーヌの前菜から始まりメインは鴨胸肉、子羊、牛サーロイン、牛フィレの盛り合わせです。この船にもこんな食材があったのかとか勝手な事を云いながらの食事です。1時間半ほど追加のワインも飲みほしすっかり良い気分で部屋を後にしました。
    週1回くらいはこんな食事が出れば良いのにと思いますが、自分が確実にフォアグラになってしまうでしょう。
    2011年 1月 9日
    赤道と日付変更線
    今日は赤道と日付変更線を越える日です。
    7時前に朝日が出ましたが、水平線に雲がありその上からです。最近すっきりとした日の出がありません。日没も同じで必ず水平線に雲があります。
    朝7時ころ赤道を通過するのを待ち、例によって赤い線が海にあるとか言っていると、赤道通過と書いた紙を用意してきた人がいました。(写真の海に赤い線が!?)
    面白いとその紙を持ちみんなで写真を取り合いました。
    そのうち虹も出て来ました。海の上からあがる虹はきれいですが今日はバックの雲がちょっと黒く残念です。
    日付変更線は夜中に越える予定ですが、詳細は明日に書きます。



    2011年 1月10日
    10日は1時間
    9日夜中の12時に、日付変更線を越えるため24時間時計を進めます。そうすると10日がなくなるわけですが、この日は同時に時差も発生します。そのため1時間時計を遅らせます。
    つまり1月10日は1時間だけある事になります。
    船ではその1日を記念した催しなどもありましたが、寝てしまいました。
    というわけでこの日の写真はありません。
    2011年 1月11日
    肌を焼く
    このところ水平線に雲があり、朝日も夕日も全く駄目ですが相変わらず早起きして朝日を待っています。
    今朝もきれいな朝日は望み薄ですが、明けの明星金星が輝いているので撮ってみました。
    タヒチを出てから連日30度を超す暑さが続いています。
    イースター島で一日外にいて腕がすっかり日焼けしたので、胸と背中も少し焼こうと水着になり日光浴をしています。
    10階にジャグジーがありその周りが日光浴の場所となっています。
    10分も横になっていると汗が出てきます。あまり急激に焼かないように、胸と背中を15分づつ焼く事にしました。
    もう1週間も続けているので表も裏もこんがりと良い色になってきました。


    2011年 1月12日
    雨降り
    午前中は雨が降り朝日も望めませんでした。こんなに長く雨が降ったのは初めてです。
    午後からは晴れて来たもの蒸し暑く昨年の日本の夏のような陽気です。気温も30度を越えています。
    船内の催しも今日はアースデーという事で、環境問題などを中心に組まれています。
    ピースボートでの催しは平和、環境などのテーマが多くまたそのような問題に関心のある方も多数乗っています。
    私もジュゴンのぬいぐるみに誘われて沖縄の辺野古基地反対の署名をしました。
    今まではデジカメは写真中心でしたが、毎日眺めているこの海も上陸したら眺められないのだなァと動画で撮り始めました。なにげない日常的な風景ともうすぐ別れるのかと思うとチョット寂しく思います。
    横浜まで1週間を切りましたが日に焼いて海を眺める生活は相変わらずです。
    2011年 1月13日
    グリーンフラッシュ
    しばらく前良く現れたトビウオはほとんど姿を見せなくなりました。
    昼食前に海を見ていると2,3メートルのサメが目の前の海を泳いでいます。あわててデジカメを出しましたが、船とすれ違うように泳いでいたのであっという間のすれ違いです。 うわさでは今日はクジラも2度ほど現れたそうです。クジラはまだ見ていないので何とか見たいものです。
    夕日は雲ひとつない水平線に沈みこの航海で一番でした。沈み終わるとみんなから自然に拍手が起きた見事な夕日でした。
    さてグリーンフラッシュをご存知でしょうか。
    これは「太陽が完全に沈む直前、または昇った直後に、緑色の光が一瞬強く輝いたようにまたたく、非常に稀な現象。緑閃光ともいわれる。」もので珍しい現象です。
    今日の夕陽でこのグリーンフラッシュを見たと言う人が何人かいます。私は見えませんでしたが何人かの画像を集め緑を強く加工してみると太陽のあたりは緑が濃くなっています。これがそうなのかは良く分かりませんが修正した画像を載せてみました。
    その後加工しないで緑の見える画像を入手したので追加します。
    2011年 1月14日
    平和を考える
    昨日とはうって変わり曇りがちで風も強くなりました。波も大きなうねりとなり船は揺れています。それでももう3ヶ月ちかく航海しているので慣れてしまいました。
    気温も30度を下回り今日から肌を日に焼くのは中止しました。
    今日のイベントとしては航海中に行われていた語学講座の卒業式がありました。英語とスペイン語です。私は参加しなかったのですが、じっくりと語学勉強をするのも一つの過ごし方でしょう。ただし宿題も出てかなりハードなようでした。
    午後からは第二次世界大戦を語る催しもありました。乗船者中最高齢の89歳の方の体験などです。またその後、久留米の小学校のグランドピアノと特攻隊員にまつわる映画も上映されました。このような平和を考える催しはピースボートの特色です。
    この上映には関わったので参加者が気になりましたが、100人ほど集まりました。ただ若い人が少なかったのは残念でした。
    2011年 1月15日
    フェアウエルパティー
    いよいよ残り少なくなってきました。
    船で自主企画として行われてきたものの発表会がありました。
    詩吟、日舞、民謡、ナツメロ、太極拳などの実演と創作系の絵手紙、ちぎり絵、スケッチ、写真、似顔絵などなどです。これらは船に乗った人が自主企画し同じく乗った人が参加するものです。また若い人のサークル的な活動も多いのです。
    夕食はフォーマルで途中船でサービスを担当したボーイさんやウエイトレス、客室係など現れ挨拶します。
    続いてフェアウエルパティーです。社交ダンスも盛んでその発表会を見ながらシャンパンを飲みます。
    あと3日となりもっと乗っていたいと言う人。早く家に帰りたい人さまざまです。
    長かったようで終わりに近づけば短かったような気もしてきます。
    2011年 1月16日
    荒波
    天気は悪くなり海が荒れています。大きな波に船が揺れます。
    この季節はこんなものという経験者は言いますが、大きく傾くと良い気持はしません。
    いままで撮ったデジカメのデータを人にあげたりして終日過ごしました。
    帰国手続き説明会があり、いよいよ帰る実感が湧いてきました。
    船では九州や北海道の方たちとも知り合い再会を約します。
    夕食はインドネシアデーでインドネシア料理が出ました。和食中心なので、もっとこのような各地の料理が出れば良かったのにと思います。
    海はますます荒れて夜には立波に横波が交錯し時々ドスンと船が落ちます。慣れは大したものでかすかに揺れを感じながら熟睡していました。
    2011年 1月17日
    荷づくり
    今日の昼過ぎまでに宅配で送る大きな荷物の荷繕いをしなければなりません。
    海はますます荒れ、10メートルは超す波です。
    写真を撮ろうにもオープンデッキは波しぶきで出られません。
    パソコンもなんとか人のものを借りたりしてブログを続けて来れましたが、更新は今日で終わりとなりそうです。
    ただいま放送で今日の集荷は悪天候で中止とありました。
    この分ですと横浜下船は遅れそうです。
    2011年 1月18日
    横浜帰港遅れ
    昨日の更新後のことです。
    横浜帰港が1日遅れると船内放送でありました。
    海図にはその日の現在地点がスポットされます。それを見てもいままでより1日の航海距離が短く、これでは遅れるのももっともです。
    三時のお茶は船首を望める部屋でいつも飲みます。船が大波に突っ込むと大きな水しぶきが上がります。そのタイミングを見ながらみんな窓際でデジカメやビデオを構えています。
    明けて今朝はやや波が静かになりました。そうは言っても揺れはかなりのものです。
    集荷も始まり、船内のフリースペースは荷物を送り出して所在無げな連中であふれています。ただ到着を待つだけの日となりました。
    2011年 1月19日
    地球一周達成
    午前5時過ぎ目を覚ますとまだ暗く、船窓から街の灯が見えます。横浜に着いたのです。さっそくデッキにあがると寒さに驚きました。
    少し前にベイブリッジを通り過ぎたようで影のように橋げたが見えます。タグボートが船を押して方向が変わると見慣れた町並みが夜明けとともにはっきりと見えてきます。
    接岸したのは出発の同じ桟橋です。まさに地球一周を達成したのです
    朝食がすむとデッキには人も増え朝日のあがるのを眺めたり、ビルの間に顔を見せた富士山を撮影したりしています。
    やがてパスポートの返却が始まり下船となりました。自分の荷物を受け取り税関を通るとフリーです。ちなみに船では入国審査は全て下船前に行ってくれます。
    行きには宅配で荷物を送りましたが、帰りは同方向の人と相乗りで荷物を持ちタクシーにしました。荷物を宅配で送るより安い料金で帰れました。
    お昼前にはもう我が家です。お土産を広げると訪れた各地が思い出されます。
    夕食の刺身を堪能してワインを飲むと8時過ぎにはもう眠くなり、ひさしぶりに揺れないベッドで熟睡です。
    これで87日間のピースボート日記はひとまず終わりです。

    お読みいただきありがとうございました。
    Copyright(C) ebosi  Allrights.Reserved Since Oct.2010